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七条村の駄菓子屋 [Tokyo elan なおみ]

駄菓子屋で思い出したけど

私の地元七条村には、近所に2大駄菓子屋があって

かたや牛乳屋がやっている
『浅井さん』



お婆ちゃんがひとりで切り盛りしてる
『鈴木さん』

があった。

どちらも正式名称かは定かではないが、当時の小学生には、そう呼ばれていた

『浅井さん』は、牛乳屋ということもあり、飲み物が豊富で、
チェリオやスコールといった炭酸飲料の品揃えは素晴らしい
勿論、その場で飲み切りビンを返却すると10円返ってくる


対する『鈴木さん』は、私の予想では80歳ぐらいであろうか、
よんでもなかなか出てこないお婆ちゃんが、普通の民家の玄関先で営んでいる


私の父が子供の頃も、既にお婆ちゃんだったらしい

きれいな白髪を一つにまとめた、上品で小さなお婆ちゃんだった

お婆ちゃんが出てくるまで、ひたすら『すいませ~ん』と呼び続ける

当時の私は、出てこないイライラよりも、
この誰もいない店の中で駄菓子を盗んだと思われないかを心配していた

こちらはともかく細かい駄菓子がたくさん。

よっちゃんいか
うまい棒
どんど焼
小さいヨーグルト
薄い煎餅みたいなのに梅
ジャムつけるやつ
紐あめ
くじ引いて、一等は百円玉の形の大きいチョコレートがあたるやつ
(今のスタバで売ってる金貨のチョコレートに似てる)
卵のかたちのバニラアイス
のしいか
げそいか
(いか類は制覇)

いっぱい買っても二百円ぐらいだったような

そう言えば、お婆ちゃんはいつも敬語だった

『百円と八十円になります』
180円のことをそう言ってた


『ありがとうございました』

て、帰り際何回も言ってたなあ~


しかし、小学生も高学年になると、チャリんこを
乗りこなし、もうワンブロック遠い駄菓子屋に
出入りするようになる

新参入通称『るみ』

店をやっている家の表札にかかれていた名前で
唯一小学生が読めたのが『るみ』だからだ。

今考えれば娘さんの名前だったんだろう

そこは
水あめにソースをつけて
薄い煎餅ではさんだもの
30円

小さいラーメン
50円

といった高学年にならないと手の出せない代物が
たくさん売っていた

当時の私達は
好きな男子のチャリんこの後ろに乗って『るみ』に行くのが、最高のステイタスであった


フェラーリに乗って
リッツカールトン行くようなもんなか?
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